「ボカ〜ン!」はリズケンがお贈りするエンターテイメント・マガジンです。
リズケン・スタッフや外部ライターの方による傑作をお楽しみください!
リズケンサイト・トップページへ
    

(テキスト:ヤマムラマキト)

“この人キテます! 〜ドラムバカ一代〜”

オマー・ハキムとエレドラの巻

 実は先日、音楽雑誌「ジャズライフ」さんのご厚意で、ドラマーのオマー・ハキムにインタビューすることができました。オマーといえば、80年代フュージョン世代からジャズ、ロック、ポップスまで、日本でも熱烈なファンの多いドラマーです。そんなことは皆さんのほうがよくご存じかもしれませんね。まぁそんなわけで私もワクワクして出かけていき、そしてとても有意義なインタビューを行うことができました。

 このインタビューは、某メーカーのエレクトリック・ドラムの試奏を目的として行われたもので、詳しくは是非次号ジャズライフを読んでください。もちろん店頭での立ち読みなどはもってのほかです、家族やお友達の分もあわせて3〜4冊買って、家に帰ってゆっくりすみずみまで読みましょう(笑)

 さて、今回のドラムバカ一代で取り上げたいことは、このインタビューを通して感じた「ドラムのゆくえ」というものです。オマーは、ここ数年エレクトリック・ドラムを使ってレコーディングやステージを行うようになったと言っていました。彼はそもそもテクノロジー派でもあり、新しいものが出るとなんでも試してきたというのですが、ここ数年のエレクトリック・ドラムの性能の向上により、本番にも使えるようになってきたというのです。また、もうひとつの背景として、最近のアルバムを聴けば、その中には打ち込みもあればサンプリングもあり、サウンドの幅がとても広くなったことで、ライヴ・ステージでもそれだけのサウンドを求められるということがあったようです。

 日本のドラマーでも、青山純さんがライヴ・ステージでアコースティック・ドラムとエレクトリック・ドラムを使い分けたり、神保彰さんがワンマン・オーケストラと称してエレクトリック・ドラムを駆使した新しい世界を開拓されています。HMVやタワーレコードなどの大きなCDショップに行って、売り上げTOP10のアルバムを聴けば、今現在の音楽シーンの中で耳にすることができるドラム・サウンドの世界というものが感じられるでしょう。

 レコーディングというものは、およそ現在の演奏という行為のひとつの達成であったり目標として存在しています。コンピュータやデジタル・レコーディング機器の進歩により、そこそこの投資でレコーディングができる環境は整う時代であり、エレクトリックのギタリストやベーシスト、キーボーディストなどは、自宅でも気が済むまで作業をすることができるようになりました。ここにエレクトリック・ドラマーという存在が登場したら、更に話が早くなるでしょう。ドラマーも、自宅での練習環境のままレコーディングができ、ステージだって行えるのです。もちろん、エレドラと生のドラムでは、いろいろな面が違います。でも、実は先日のインタビューでオマーがエレドラを叩きはじめると、そこには普通にオマーの演奏が存在していました。道具に何を使おうとも、オマーのドラミングの素晴らしさやオリジナリティは滲み出てしまうのですね。

 私自身、自分で購入したり試奏したりで、シンセサイザーや打ち込み、サンプリング関係、エレクトリックドラムなど数々叩いてきました。物理的な構造による制約を持った楽器というものに比べて、演算処理で音を形作っていくシンセやサンプリングというものには、また違った魅力があります。リズムマシンによって安易なドラム・サウンドが安易に流通するという面もありましたが、トップ・レベルの打ち込みの世界におけるサウンドには、実は目を見張るものがあります。ちょいちょいとシンセやサンプラーをいじくりまわしたくらいじゃ出てこないようなすばらしいサウンドが生まれてきているのですね。強力なセンスと耳によって、ものすごい絶妙なサウンド・コーディネートを行う人達が存在しているのです。生ドラムで素晴らしいサウンドを生み出す人もいれば、シンセやサンプラーで素晴らしい音場を創り出す人がいるということですね。
 一応誤解の内容に言っておくと、これはオマーも言っていましたが、私達は今までアコースティック・ドラムで練習をし、実際の演奏も行ってきましたから、その素晴らしさは代え難いものであり、それは今まで通り続いていくものでしょう。しかしこれからの可能性とか方向性というものから目を背ける必要もないですよね。どっちが新しくてどっちが正しいとか、エクスクルーシヴ(排他的)な話ではありません。

 なにが言いたいかっていうと、いやぁなんだか楽しくなってきたなぁ、と。ここ最近私はシンバルに凝ったりして、ヴィンテージ楽器の持つ複雑で玄妙で深みのあるサウンドの素晴らしさを堪能したりしています。その結果、以前よりもサウンドやアンサンブルというものについてあれこれ考えています。よい楽器は、奏者に演奏する喜びを感じさせてくれ、そして表現の素晴らしさを再認識させてくれます。また、楽器の音や響きが混ざり合うということの難しさとその素晴らしさを。

 素晴らしいドラマーが素晴らしい音を奏でる様は、熟練した料理人がその時々にある材料を最高の料理にするかのようです。よい料理って、実はそこに出向いていかないと食べられないんですよね。ライブ演奏っていうものも「そこに行かないと聴けない音」っていうものをもっともっと追求できるんじゃないかと。単純に家で出せないような大ボリュームとか、即興性とかだけではなくて、演奏者と同じ空間で、同じ音の響きを感じることの贅沢さというか。安易なPAでは難しいでしょうね。ひょっとしたら1日5名限定のライヴとか(笑)クラシックの時代の貴族のための演奏ってのはそんなものだったのかもしれませんね。同じ曲は二度と演奏しないなんていう世界もあったわけですから。最近の日本って、サービスというものを見る目が変わってきたとも思うんですよね。物質的なものだけでなく、質の高いサービスっていうものに対する価値観というか。

 レコーディングや大きなライヴ・ステージはマス・メディアというべきものですよね、それはそれで必要だと思うんです。で、新しい音場サービスの提供っていう意味で、ライヴはその反対を行くとか。そんな形もあっていいんじゃないかなと思うんですね。ギタリストとかパーカッショニストっていうのは結構そういう世界にもいると思うんですが、ドラムって言うのはちょっと視点が違うというか。最近のシンバルなんかを見ているとマスメディアの要求しているサウンドを、今まで通りのアコースティック楽器の物理的な制約の中で出そうとしているのが、ちょっと無理矢理になってきているんじゃないかとも感じるんです。もっと、自然なものであったり、同じ音が2度と出ないような複雑な音色の楽器とか、自然界の物理に沿ったような楽器づくりなんかもあっていいんじゃないかと。

 なんだか結局、楽器話になってしまいました。最近のクラブキットの流行なんかも関係もあると思うんですけどね、ジャズの世界では生のピアノとウッドベースとバランスをとって演奏するなんてことは当たり前で、そういう世界の人たちは、やっぱりいい楽器、いい音場というものの視点が違う。ハイファイとかローファイとかっていう言葉なんかもありますけど、エレドラにしろ、生ドラにしろ、サウンド・コンセプト(死語)っていうものの、さらなる付加価値ってものがあるように思うんです。ともすればそれが音楽のディストリビューションにまで関わるほどの。まぁ、私という人間が、今頃やっとそんなことに気がついたということなんですけども(笑)そんなライブができたらいいなぁと思い始めている私なのでした。

  


Presented by RIZKEN / since 2001.03 / All rights reserved by KENMUSIC