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カリエンテカリエンテ 2004/9月号
ラテンパーカッショニストの食い道楽

 カリブでは至る所で飲まれているラム酒。日本でもカリビアン料理の店が増えたせいか、店でもバーでも酒屋でも簡単に手にはいるようになった。甘い香りが実に魅力的であるこの酒。今回はサトウキビが原料の、ラム酒の話である。


 遡ること1492年。
 クリストバル・コロン(クリストファー・コロンブス)というイタリア人が、当時スペインを統治していた国王夫婦に資金援助を受け、カリブ諸島を発見した。しかし彼は新大陸だとは思わず、インドに着いたと勘違い。おかげでこの辺りは、今でも西インド諸島などと呼ばれている。

 この時、スペインのライバルだったポルトガルがアフリカ大陸の迂回に成功。ローマ法王の仲裁で、東をポルトガル勢力圏、西をスペイン勢力圏と定められたのである。
 すると、エスパニョーラ島(現在のハイチとドミニカ共和国)の先住民達は大波乱を起こした。そこで、スペイン王は先住民に代わってアフリカの黒人を輸入すことに決定したのだ。

 当時アフリカの人々は多くの部族に別れており、部族同士の敵対関係があった。これをポルトガルが利用し、彼らの争いを仕組み、人間狩りを組織した。そして、ポルトガル商人が仲介役を務め、フランス、イギリス、スペインへと奴隷を売りさばく奴隷貿易が出来上がってしまったのだ。

 おまけにポルトガル人達は、アフリカ人を奴隷船で西インド諸島に連れて行った帰り、空になった船にカリブ諸島で盛んだったサトウキビ栽培の糖蜜を積んだ。そして、ラム製造工場のあるアメリカのニューイングランドに運んだのである。ここで原料の糖蜜を降ろし、代わりにラムを積み、アフリカに戻って奴隷と交換をする。

 悲しい三角貿易の成立だが、これによってラム酒も発展し、新しい音楽も生まれていったのである。黒人が持ち込んだ音楽や、ヨーロッパの白人達が持ち込んだ音楽と融合してできた混血音楽などが。
 キューバのサンテリアやルンバ。ハイチのブードゥーやメラング。トリニダードのカーニバルやドミニカ共和国のメレンゲ、プエリトリコのボンバやプレーナ。こういった音楽にそれぞれ特色があるように、ラム酒にも特色がある。植民地領土によって味も香りもボトルも違う。

ハイチ
バルバンクール
ジャマイカ
アプルトン
プエルトリコ
キャプテン・

モルガン
キューバ
ハバナクラブ
ガイアナ
レモンハート
ベネズエラ
パンペロ
マルティニーク
トロワ・
リヴィエール

 飲み尽くした訳ではないが、個人的に好きなのはキューバのハバナクラブである。甘くてコクがあるが、さらりと飲めるところが実に気に入っている。
 ラム酒全体的に、カクテルにするなら若いもの、ロックやストレートで味わうなら熟成されたものがよいと思う。現地で飲まれているのは、ほとんどが若いホワイトラムだが、長年樽で熟成されたダークラムは、香りが良く味わい深い。

 是非、自分のお気に入りを見つけて、カリブの音楽を聴きながらじっくりと味わって欲しいと思うのであった。

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