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・カリエンテ 2002/2月号
 新年明けてのカリエンテである。年末や正月は、蕎麦を打ったり鍋をしたり日本酒を呑んだりして過ごし、すっかり「和」のテイストに浸っていたが、正月気分も抜けきった今、ラテンの世界へと目を向けようと思う。
 今年からは、サルサについて、話を進めようかと考えている次第である。
 今まで話してきたことも、特にキューバンサルサには関係の深いものであるし、キューバンサルサを語る上での前フリのようでもあるのだ。コレを機に、是非ともサルサに興味を持って貰いたいと願うのである。

 ちなみに、「サルサ」とは、「ソース」の意、なのだ。
・サルサはどうやって生まれた?

サルサのルーツ

 インドを目指し、スペインを出発したコロンブスが最初に到着したのは、カリブ海であった。これが、アメリカ大陸の「発見」である。
 キューバは1492年、プエルトリコはその翌年に発見されている。
 当時カリブ地域に住んでいた先住民族は、スペイン人達によってアットいう間に征服され、奴隷となった挙げ句、過酷な労働と征服者の持ち込んだ疫病によって、わずか数年で全滅。
 そこで、頑強な労働力が欲しかったスペイン人は、アフリカから奴隷を輸入し始め、彼らを金鉱で働かせ、サトウキビや煙草の栽培、家畜の世話などをさせたりした。ここから、約4世紀にわたって奴隷の時代が続いたのである。
 最初は、モザンビークやコンゴから奴隷を連れてきたのだが、農業が急速に発達したことによって、ナイジェリア、ガーナ、トーゴなどからも、捕らえられるようになっていった。そして彼らは、洗練された文化と複雑な宗教体系を持ち込んできたのである。
 一時期、キューバの奴隷達は部族同士で策略を練らないよう、混同で生活をさせられていたのだが、これは奴隷の衰弱の原因となり、結局民族ごとに振り分けられる体勢になった。このおかげで彼らは、祖国の音楽やサンテリアや、アバクア、パロなどの秘密主義的な宗教をある程度守り、伝えることができたのだった。
 それらは20世紀初頭までは、アフリカ人だけで守られてきたのだが、次第に優秀な打楽器奏者や歌手たちが、その音楽的技術を世へ送り出そうとした。
 しかし、アバクアは今でも、女性の参加を認めておらず、エクエという太鼓は人の目に触れること無く演奏されている。
 こういった宗教が、キューバの音楽に、そしてサルサに与えた影響は大きい。

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