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ふじかわまゆみの「ラテンの世界へよ〜こそ〜」'01/11月
 

 英国でカントリースタイルが流行した。音楽とファッションは密接な関係にあり、この影響でカントリーダンスも流行ったのである。
 貴族の優雅な生活に飽き飽きしていたマリーアントワネットは、すぐさまコレに着目し、自分の生活にも取り入れたのであった。そこからダンサの話しが始まるのだが、優雅な暮らしに飽きたなんて、なんとも羨ましい限りである。
 そういう人達には、あたしのように「がははははッ。」と大口開けて笑い、毎晩麦酒をガブガブと呑むような奴は居ないんだろうなぁ。                   

 
 

ダンサ

 
 
 マンボやチャチャチャは、コントラダンサが発展したものと言われている。では、コントラダンサとはどういうものなのか。
 
 元はイギリスの宮廷で流行した「カントリーダンス」、これがフランスの社交界でもブームとなった。1790年頃、ハイチで革命が起こり、そこにいたフランス人達がキューバ東部、サンティアゴへフランス文化と共に逃亡していったのだった。
 そして、フランス人が愛したダンスはコントラダンスと呼ばれ、それに黒人的なリズムが加わった。キューバ人たちは、コントラダンサとスペイン風の発音でそれを呼び、あっという間に一世風靡したのである。

 コントラダンサの演奏は、ティンパニ、ギロのリズムの上に、バイオリンとトランペットやトロンボーン、クラリネットといったブラスの音で構成されており、次第に、軽快なダンサと呼ばれる舞曲に変化していった。

 
 
 
 
 
 
 
ダンソン
 
   
 このダンサをよりリズミックにし、クラリネットとブラスのソロを取り入れた「ラス・アルトュラス・デ・シンプソン」という曲が、1879年に発表された。
 作曲者はミゲル・ファイールデという人物で彼はコレをダンソンと名付けたのだった。

 その後、ダンソンの父と呼ばれるアントニオ・マリア・ロメウが、ブラスの変わりにバイオリンとフルートを加え、「チャランガ・フランセーサ」と呼んだオルケスタを結成した。これがチャランガの元と言われている。

 始め、ダンソンは歌の入っていないものであったが、キューバの重要な出来事、「ハレー彗星」「中央鉄道」「長距離電話」などがタイトルに付けられた。
 1900年前半にファイールデ楽団にいたアニセト・ディアスが、パウリーナ・アルバーレスという女性を自分のバンドで歌わせ、これをきっかけに歌入りのダンソンが流行したという。この歌が入ったものをダンソネーテと名付けられた。
 

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