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・カリエンテカリエンテ 2003/8月号

●南米の音楽

○アルゼンチンの音楽

<タンゴ>

 タンゴが生まれたのは19世紀の終わり頃。南米、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスだと言われている。当時のアルゼンチンはヨーロッパから大量に移民を受け入れていた移民大国であった。
 人口は1869年から95年の間に2倍以上に膨れあがり、その殆どは農業に従事する労働者だった。そして、彼らが集まる港町に酒場や娼婦館ができ、そこでダンスや音楽が生まれたのである 。

 20世紀に入った頃、ブエノスアイレスは急激な発展を遂げる。豪華なオペラハウス、コロンが建設され、人口も更に増えていった。そして下町のあちこちにタンゴを楽しむ店ができ、演奏家達が育っていったのである。
 さらに、ダンスホールなどを中心に盛んに踊られるようになったタンゴは、人々の娯楽としてブエノスアイレスの風物詩になっていった。そして、それを見たヨーロッパの人たちにより、ヨーロッパ大陸へと伝えられていったのである。

 ヨーロッパに渡ったタンゴは独自のスタイルをあみ出していき、コンチネンタルタンゴへとつながっていく。社交ダンスで使われるタンゴはこのスタイルが多く、アルゼンチンタンゴより編成が大きい。アコーディオンが使われ、リズム楽器が参加していることもある。クラシックのオーケストラの伝統を持つヨーロッパならではの変化だろう。

 タンゴ人気は途中かげりはあるものの、1955年まで続いた。最初の黄金時代は第一次世界大戦のおかげでアルゼンチンが好況に沸いた1920年から。しかし、1930年にアメリカの大恐慌の影響で起きた軍事クーデターが起こり、演奏する店やレコード店が活動を休止したために厳しい時代となったのである。
 しかしその後の経済の回復に伴い、カルロス・ガルデルというスター歌手が登場し、大衆歌謡として再び脚光を浴びることになった。
 ところがこの時代も55年のクーデターでピリオドを打たれることになる。

 こうした国内情勢の変化と、世界の音楽状況が変わったことで、タンゴは人気を落としていくのだが、55年から奇才アストル・ピアソラの活動が本格的に開始された。
 彼は、
アルゼンチンタンゴのスタイルを取りながら、クラシックやジャズといった新たな要素を取りいれ、従来のタンゴとはまったく違う音楽を作りあげた。

 今日、タンゴとして聴いている音楽は、そのほとんどがピアソラによって確立したものである。テレビCMやドラマ、映画「12Monkeys」のテーマソングなど、多分に使われているのだ。
 タンゴの歴史上、最高のバンドリーダーでバンドネオン奏者であり、天才と言われた彼だが、92年に死去。今後彼を超えるアーティストは出現するのだろうか。


<楽器とスタイル>

 タンゴの代名詞ともいえる楽器は楽団の花形バンドネオンである。しかし、初期のタンゴにはまだバンドネオンは登場していない。当時はフルートやクラリネット、ヴァイオリンにギターといった編成で演奏していたのである。こうした編成にバンドネオンが加わるようになったのは20世紀に入ってから。このバンドネオン、もともとドイツでアコーディオンの改良型として生まれ、移民と共にオルガンの携帯用としてアルゼンチンに持ち込まれたのである。
 さらに、一口にタンゴと呼んでいるが、そのスタイルもタンゴ、ミロンガ、ワルツの大きく3つに分けられる。

 タンゴは4分の2拍子によるスタイル。
 ミロンガはシンコペーションを伴ったリズム。ウルグアイのカーニヴァル音楽であるカンドンベにルーツを持ち、ミロンガ=カンドンブレと呼ばれることもある。
 ワルツは3拍子の舞曲。


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