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・カリエンテカリエンテー11月号

サントドミンゴの音楽

<ドミニカ共和国>
 1492年にコロンブスによって発見されたイスパニオラ。この東側3分の2を占めるのが、1496年にコロンブスの弟バルトロメ・コロンによってサントドミンゴが建設された、ドミニカ共和国である。西側はハイチと隣接する。1697年に西側がサンドマングとしてフランスに譲渡され、1821年サントドミンゴはスペインからの独立を宣言した。
 しかし、フランスから独立した旧サンドマング即ちハイチからの侵入を受けることに。この後、革命運動によりハイチを駆逐、1844年にドミニカ共和国は正式に独立した。


◎メレンゲ

 ドミニカ共和国を象徴する文化ともなっているメレンゲ。キューバ東部のダンス、ウパウパのワンパターンからだとか、マダガスカルのババーが元になっているだとか、または卵白を泡立てて作るメレンゲからだとか、生い立ちについては様々な説があるのだが、そのような時代に録音されたものはなく未だ不明。
 
 メレンゲという音楽が人々の間に浸透していったのは、スペインからの独立を勝ち取った1850年頃である。「ドミニカ音楽の父」といわれている作曲家ファン・バウティスタ・アルフォンセカが、ヨーロッパの舞曲とアフリカの打楽器を融合させボールルームに持ち込み広めていったのだが、下劣なアフリカ的要素という理由で社交サロンから消えていってしまう。
 一方、北西部の田舎町では民俗的なメレンゲが繁栄し続けた。
 古典的なメレンゲは、両側に皮を張ったタンボラ・ドラム、擦って音を出すグィラ、初期のソングループが使っていた箱形の低音楽器マリンバなどで演奏される。
 1870年以降、マリンバはウッドベースに、ドイツ製のボタンアコーディオンがギターなどの弦楽器に代わって使用され始めた。そしてタンボラ、グィラ、ベースをセットとした後に言われる、より速く騒々しくしたペリーコ・リピアオというグループ編成が定着するようになった。


 メレンゲの基本構造は、パセオ(男女がゆっくりと踊り場に歩み寄る序奏)、メレンゲ(歌が入るペアダンスのボディ部分)、ハレオ(後半の短い小節を反復する部分)の3つの展開である。1916年から8年間のアメリカ合衆国占領下、メレンゲを上手く踊れないアメリカ人のためにテンポを落としたスタイル、パンビーチェというスタイルも作られた。

 20世紀に入ると新たにサックスが入り編成が強化され、現在のメレンゲの典型ができあがっていったが、上流階級では嫌われる存在であった。
 そんな中、メレンゲを農民の間から上流社会の社交舞踊にまで浸透させた貢献者が、大統領のラファエル・トルヒージョである。下層階級出身の彼は、民主主義のシンボルでもあったメレンゲを選挙の宣伝道具にも使い、エリート層に浸透するのを喜んだという。
 トルヒージョの暗殺によって外に向かって解放されたメレンゲは、アコーディオンの代わりにピアノやコンガが導入され、コンボスタイルのバンド編成が主流となっていった。

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